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展覧会Exhibitions

TAIWAN AVANTGARDE:毒虫の多い熱帯都市台湾展

1999.04.16 - 1999.04.30

開場時間
10:30〜18:30(最終日17:00)
休館日
会期中無休
入場
無料
会場
京都精華大学ギャラリーフロール
主催
京都精華大学 建築分野
企画立案・総合プロデュース
33 productions,Gin Johannes Studio
ディレクター
新井清一・鈴木隆之

概要

台湾の若手前衛建築家10組の展覧会。欧米の大学を経た後、台湾の銘傅(Ming Chuan)大学等で教鞭を執りながら台湾の建築界をリードする新鋭たちは、フォールディング(fold=襞)という独特の手法によって繋がる、形態・空間や建築・都市の問題をダイナミックに問いかけます。

出品参加者

陸希傑 Shi-Chieh Lu
Graduated AA school in London,
Lecturer at Ming Chuan University.
李建達 Chien-Da Lee
Graduated AA school in London,
Lecturer at Ming Chuan University.
呉建徳 Wu Chien-Te
Graduated AA school in London,
Lecturer at Ming Chuan University.
連晃毅 Huang-Yi Lien
Graduated AA school in London,
Lecturer at Shih Chien University.
王為河 Wang Wei-Ho
Graduated Shcool of Art Institute of Chicago,
Assistant Professor at Tainan National Colledge of The Art.
施行忠具 Shy-Gong
Artist and Architect.
祭文祥 Leon Tsai
Artist, Chinese Culture University Media Lab.
林昌修 Chang-Hsiu Lin
Graduated Harvard University in boston, Lecturer at Taichu.
Lab7. Shu-heng Huang, Richard Hsu and Patrick Poon
Graduated Bartlett School of London University,
Colombia University in New York and SCI-ARC in Los-angels.
Gin Johannes
Graduated AA school in London,
33 productions, Gin Johannes Studio, Architect.
Guest Critics 王澤 Joseph Wong
Professor at Ming Chuan University,
Assistant with Daniel Libeskind(*) Architect. *Daniel Libeskind(ダニエル・リベスキンド)は、ドイツのベルリンにてユダヤ人博物館等を設計竣工し、現在もロンドンのV&Aミュージアム他、多数の実施プロジェクトを担う建築家。デコンストラクション(脱構築)の世界的ムーブメントを誘導している代表的人物の1人。

講演会の概要

渡辺清子
(京都精華大学 建築分野4回生)

4月16日からギャラリーフロールにて「TAIWAN AVANTGARDE」展が催された。
ジン・ヨハネス氏プロデュースによる台湾の建築家展である。出展者は12名ほどで、ほとんどがAAスクールというロンドンの建築スクールの出身者である。 4月17日、「TAIWAN AVANTGARDE」展の講演会が行なわれ、オープニングレセプションとして福原哲朗氏がダンス・ パフォーマンスを披露してくれた。
屋外で行なわれたパフォーマンスは、福原氏が舞台に設置された角材や石灰に触れながら、非常にゆっくりとした動作で歩き回り、物と身体の関係性、知覚の問題を実践して行なうというものだった。
      
その後、会場を移動しての講演会では、ゲストパネラーに曽我部昌史氏と西沢立衛氏を迎えた。
講演会は、日本側と台湾側に分かれ、その間にジン・ヨハネス氏が入るという形で、日本語と英語、台湾語が飛び交う中で進行していった。
      
まず、今回の展覧会の作品がスライドで映し出され、討論が交わされた。 展示会場を入ってすぐに目に入る、幾層にも折り曲げられた紙の巨大な写真や、その前の床に置かれたいくつもの紙の習作の作者である陸希傑氏による説明では、
「フォールディングという手法を使っていくつもの形を創るのは、形態のバリエーションから生成するもの、無形から有形を探るための実践である。また形態の前後関係、空間の経緯、形態の生成の問題を考察するものである」との事だ。
それに対して曽我部氏は「形の定規を作っているのではないか」とコメントし、西沢氏は「フォールディングによる一連の作品はスケールの差があるだけで、同じように見えてしまう」とコメントした。
陸希傑氏は「フォールディングと言う作業は、都市の構造を理解するものだ」と言っている。「展開とフォールディングの繰り返しが都市であり、都市の活動である。都市の中に居てその様なことが理解できないから、一連の作業を通じて理解するのだ。都市の見えないスケールを探るものだ」と説明している。 これに加えて、鈴木隆之氏は「都市のメジャーを作っていて、都市における様々な読み方をしようとしている。形態、都市、空間の生成と言う問題を繋ごうと議論しているのだ」と会場の聴講者に対して説明した。 西沢氏は「形態の問題だけでは即物的な議論にならない。形態の問題をアーバニズムの問題として捉えなくてはならない」 とコメントした。 次にLab7(ラボ・セブン)というチームの映像が映し出された。ジン・ヨハネス氏はこの高度な映像技術を評価しており、台湾に於ける建築の魅力的な姿を紹介していった。 ギャラリー2階に展示してあった施行忠具氏によるアヘンをテーマにした作品について、議論は「植民地、コロニアリズムの話」へと発展し、都市の歪みについて話が進められた。 最後には、会場をギャラリーへ移動し、それぞれ作品を見ながらの議論になった。 3時間に及ぶギャラリートークでは、建築というフィールドで形態、都市、空間の生成、さらには時代背景の問題が議論され、聞く側としても非常に興味深いものであったのは確かである。
参加者 Special Guest
陸希傑
李建達
施行忠具
祭文祥
林昌修
Gin Johannes
曽我部昌史(みかんぐみ)
西沢立衛
(妹島和世建築設計事務所パートナーズシップ、Office of Ryue Nishizawa)
鈴木隆之
新井清一、他

展覧会

 

REVIEW

「生産する風景~Dazed and Confused~」

 

鈴木隆之
(京都精華大学 美術学部 建築分野 助教授)

 

1:アジアの純真
 
打ち合わせテーブルには、我が愛猫=トノ君が寝そべり、その向こうの窓には薄暮に輝くパチンコ屋のネオンサインが見えている。
ジン・ヨハネスが台湾の新しい建築家たちの動きについて熱っぽく僕に語ったのは、そのような風景のなかだった。 そこで僕のイメージは東京・下町の不景気な設計事務所の内部から、台北の街へと…実は僕はそれを写真でしか知らないのだが…飛んで行く。
「台北には、AAスクールあたりから帰ってきて、がんがんに建築やっちゃってるやつらがいてさぁ」と、ジンの意味不明瞭な言葉が、そのイメージのなかで響きわたる。 タイペイか、と僕はジンの顔を眺めながら思う。 東京と同じくアジアのエッジに位置し、《混沌》がその臨界点でもはやそのまま《洗練》へと転化している(例えば若者文化においては確かにそうなっている)街。モダンのねじれを東京以上に体験している街。
そこに《行ってみる》のも悪くない、《ロンドン経由=AA経由》で…僕はそのように考え、それで彼らの展覧会を京都精華大学で開くことを提案した。ジンはすぐにそれに乗った。 展覧会の副題に[FOLDING UP URBAN PIECES IN ASIA]とジンが記したように、彼ら(出品者はジンを含め、10組)の手法は、乱暴にまとめるなら《フォールディング》という言葉にくくられる。これはタイペイの風景と直接に結びついているのだろうという直感がある。 展覧会のオープニングに行われたシンポジウムで、実際ジンはタイペイの街並みのスライドを見せるところから話を始めた。あらかじめ細い路地の空をさらに狭めている出窓やベランダ、それを覆う波板の様子を、「ほら、これがそもそものフォールディングっていうものなのよ」と解説したジンの言葉は、適切だった。 出品者のひとり、林昌修の作品は、『アジア的』路地から見る『モダン』な風景を、断片化して再集積しようとするものだったが、なるほど《フォールディング》とはそのようなリアルな風景を再集積する手法であり、しかもそれはモダンのねじれをこそ際立たせるものであるようなのだ。
2:「方法」ってなんだっけ?
 
《フォールディング》がリアルな風景とは不可分なものであろうという直感は、しかし一旦は留保しておいたほうがよい。 というのは、先にも書いたように、彼らの多くはAAや他の欧米の学校を経由してきたものたちだ(そういうひとたちを、揶揄する気持ちも含めて、AA-BOYSとでも呼んでみるか)。AA-BOYSは、手法を先鋭化しようとする意志が強い。確かに彼らの手からは、新しく強い手法が生み出されている。多くの建築コンペなどで、それは確認ずみだ。 だが、方法へと意識を集中させると、方法それ自体が目的化されてしまう、というのもまたよくあることだ。本来の目的や、現実の課題から離れたところで方法が一人歩きする… そうした傾向をAA-BOYSのなかに意地悪く見つけ出すこともできるかもしれない。
彼らは『マニエリスト』なのだろうか? 今回の展覧会を構成した『フォールディング』という手法もまた、方法としての力が強いがゆえに、その目的に『?』が多くつけられることにもなった。
ジンのスライドのプレゼンテーションで始まったシンポジウムは、終始たいへんな混乱状態におかれた。それは3カ国語が乱れ飛ぶというコミュニケーションの困難にも一因があるが、それ以上に、この方法の目的に対する『?』によるものだった。
金網やFRPを折り曲げ、重層化し、切断するなどしてFold =襞(ひだ)を構成するモデリング。都市の風景との関係は垣間見えるにしても、その『目的』はいったい何なのか? Foldが、ドゥルーズの哲学用語からの引用であることはわかる、それにしても『?』。
曽我部昌史は、これらモデルの数々を見て、それは『都市の定規』ではないのか、という解釈を提出した。確かにそうかもしれない。しかしそれだけではない、という感じで、タイペイのAA-BOYSは納得しなかった。 しかし、そもそも方法とは、何だったのだろうか?
「確固たる目的こそが重要で、方法はその実現のための道に過ぎない」というひとがいるかもしれない。しかしそれではその目的とはどこから導き出されるのか?
あらかじめ定立しうる目的というのを、信じ込むことはもはや困難だ。だが、『目的など、もともとないのだ』というような似非ニヒリストの表情は、もっと信用しがたい。 建築の世界では、手法はジャーナリズムを通して共有化されやすいという傾向があり、だから今では多くの『無目的』なモダニズムデザインの流行がある。
しかし本当は、方法とは、『目的』を欠いて存在しうるものではなく、そしてまた『目的』へと向かう道のひとつでもない。それは、「目的」そのものをも変えてしまう『強度』としてこそ存在するはずなのだ。 例えば、モダニズムの表現と思考を支えたのはフォルマリズム=形式主義の方法だった。『フォルマリストは目的を欠いている』と、コミュニストやリアリストは批判した。しかしそうではなかった。
写実主義者の描く現実は「改革」という目的しか持ちえない。 だがフォルマリズムは『革命』を用意した。こんなふうに、「方法」は「現実的」でありうる。
Foldingは、コンテクスチュアリズムの『方法』などから見れば、さぞかし現実から遊離したものに見えるだろう。だが実は、これこそがリアルであると、言うことも可能なのだ。
3:モダニズムの根源問題
 
展覧会の会場の、入り口近くに掲げられたパネルで、ジンは、現在の建築状況へのいらだちを隠さずにぶちまけている。 その主張のひとつは、簡潔に言えば(こんな言葉をジンは使っていないが)「Fuckin’ minimalism」ということになろう。 ここで言う「ミニマリズム」は、モダンアートのムーブメントとしてあったあのminimalismのことではなく、経済状況と時代感覚とに迎合し、今月の新建築誌上をもにぎわせているに違いない、無記名性建築群のことだ。僕はこの一点でジンに完全に同意する。
これら無記名性建築群を量産するものたちは、自分がモダニズムを再評価しているつもりにでもなっているのかもしれないが(その自負すらないものも多いだろうが)、実はそれは再評価どころか模倣ですらない。モダニズムとは無縁の空疎なもの、というのがこの時代の似非ミニマリズムの正体だ。 モダニズムには、強い意志があった。その意志とは、何かを実現しようとする意志であると同時に、いやそれ以上に、何かを切断し、変形し、あるいは隠蔽しようとするものだった。 何かとは、例えば19世紀までの表現に充満していた、意味や物語である。
しかしこうした切断・変形・隠蔽の意志には、近親憎悪的な、どろどろとした感覚がついてまわっていたことを忘れてはならない。 表現主義は、このうちの「変形」の意志を肥大させたものであった。B・タウトがそうであったように、この意味において表現主義は正当なモダニズムの一派である。
遅れて出てきたミニマリズム-それはフォルマリズム/形式主義の極北でもあろう-は、「変形」ではなく「切断」に堵そうとしたものであると見ることができる。 表現主義とミニマリズムとは、このように背中合わせのものであった。だからこそ表現主義は、それがいかに「物語る」 感覚にあふれていても、19世紀的ロマンティシズムとはきっぱりと無縁でいられた。逆にミニマリズムは、「何もない」 感覚でありながら、「切断」された多くのものを冷たく示唆する強さを持った。 しかし、昨今の似非ミニマリズムは、もともと切断すべきものなど何もなかったかのような表情をしている。モダニズムの「闘争」にはまるで無知な、のんきな代物だ。だが、繰り返すが、本来のミニマリズムや、その源流となったフォルマリズムの「切断」の意志は、「物語」や「意味」 あるいは「現実」といったものへの過剰な憎悪をこそ逆に浮かび上がらせるものである。リアリズムの作家はフォルマリストたちを「現実から遊離している」と批判した。だがこの批判はあたっていなかった。「切断」という方法そのものが、現実へのアクチュアルな批判であったからだ。 こうしたモダニズムの意志が忘れ去られている現在の状況で、しかし再び問題の根源に触れるためにはどうしたらよいだろうか? 答えは明らかだと思う。
「切断」されたものへの想像力を回復し、それを「変形」の意志によって提示してやること。これを再び表現主義と名付けてやる必要はもはやあるまい。
「フォールディング」のような方法に、その可能性があるかもしれない。ここには「変形」されるべきリアルな風景や物語が暴力的に提示されている。
僕の側にこれを引きつけて言えば、物語を再構築・最脱構築するような新たなる小説的建築の可能性が、ここにも見いだせるわけだ。
4:チャイニーズ・フォールド・ストーリー
 
それではタイペイのAA-BOYSが「変形」=フォールドしようとしている物語とはいったい何であろうか?
彼らの表現の根底には、むろんTAIWANという「場所」の歴史が横たわっている。
「国家」でありながら「国家」でなく、共産主義と資本主義のエッジにいて高度の商業地域であり、アジアの矛盾を引き受けながら欧米とのフロントラインに立つ、その歴史。
作品のなかには、直截に、日本による植民地支配の過去とその傷跡を暴き出す試みもあった。
シンポジウムでも、ねじれた成長を強いられたことについての議論がなされた。そして今、そのねじれた成長は、環境の劣悪化という事態をも招き始めている。 彼らはそうした自らの歴史と未来に、「純真」なまでに向かい合っている。しかし彼らは、その現実を、写実的に写し取ることで問題提起をなそうというのではない。
ねじ曲げられた歴史を、再度「変形」=フォールドすることで、そこからアクティブな空間を生産しようとしている。 冒頭引いたジンの発言の通り、タイペイの街の風景が、フォールディングという方法によって、そのまま「生」を生み出す場として変わりうるのかも知れない。だとすれば、それはまさしく、ドゥル-ズの言う「襞」の概念そのものであるし、あるいはガタリの「カオスモス」の具現化されたものである。 彼らはだが、楽観的なのではない。王為河のドローイングが、風に舞う断片を紡ぎ合わせながら結局は悲しげな建築ができていく様を描いていたように、僕もまた未来はむしろ暗いとしか言いようがない。 だが僕達はそこから目を背けて、住みやすい都市などという幻想を描かないほうがいい。ジンが言うように、どのような「住みにくさ」を選択するのか、そこのみにおいてこれからの建築の価値が問われ続けるのだろう。