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展覧会Exhibitions

共生社会の実現に向けて一歩を踏み出す展覧会

2017.11.15 - 2017.11.23

開場時間
12:00~18:00
休館日
11月18日(土)、19日(日)
入館料
無料
会場
京都精華大学ギャラリーフロール
主催
京都精華大学 北波研究室
共催
特定非営利活動法人 障碍者芸術推進研究機構
後援
京都市教育委員会
出品者
NPO法人「天才アートKYOTO」所属作家、京都精華大学学生、教職員

概要

かつて学校においては,心身に障がいのある子ども達に、特殊学級と名付けられた学級で、特殊教育が行われていました。それも必要のある子ども達がいるすべての学校にあるのではなく、設置されている学校が限られていたため、学校における教育を受けることができない子ども達もいました。
1974年「国連障がい者生活環境専門家会議」において報告書『バリアフリーデザイン』が作成され、バリアフリーという言葉が広く知られるようになりました。バリアフリーは「障がい者」が感じている様々なバリアを無くすという意味合いがあり、車いす利用者専用のトイレを設けたり視覚障がい者のために点字案内板を設置したりしました。これらは障がい者の視点から利用がしやすいようにと作られたものであるので、障がいのある特別な人のためのものという考えが払拭できず、どこか隔たり(バリア)のようなものがあるように感じられました。

自分自身も障がいのあるアメリカのノースカロライナ州立大学デザイン学部デザイン学研究科のロナルド・メイスもそのように感じ、「それなら最初からみんなに使いやすいものをつくればよいのではないか」と考え、1985年にユニバーサルデザインという概念を提唱しました。ユニバーサルデザインは「できるだけ多くの人が利用可能であるようなデザインにすること」が基本コンセプトであり、対象を障がい者に限定していない点が、一般に言われる「バリアフリー」とは異なりました。

その頃まで、一般的にはあまり知られていなかった概念に、ノーマライゼーションがあります。これは1951年に北欧デンマークで生まれた社会福祉をめぐる社会理念の一つであり、高齢者も障がい者も健常者と同様の生活ができるように支援するという考え方でした。
ノーマライゼーションという概念が生まれる前のデンマークでは、知的障がい児が冷遇されていました。社会とは隔離された施設に収容され、1,000人を超える人数で集団生活をしていました。知的障がい児の親は「親の会」を立ち上げ、子どもたちの生活環境の改善や、教育を受けさせることなどを政府に要望しました。
そして、この考えを広めたのが、デンマーク社会省で知的障がい福祉課の仕事についていたニルス・エリク・バンク-ミケルセンです。彼は「親の会」の意見に賛同し、彼らのスローガンを法律として実現するように力を貸しました。こうしてできた法律が、初めてノーマライゼーションという言葉を法律に用いた「1959年法」です。「障がいがあるからといって,その人が異常(アブノーマル)なのではない。人は障がいのゆえに差別されることがあってはならない。身体的もしくは知的に障がいがあったとしても一人の人間であり,障がいのない人と同等であり、一般市民と同じ条件のもとで生活する権利がある。」バンク-ミケルセンはそのように訴え、障がいのある人をノーマルにすることではなく、彼らの生活条件をノーマルにすることを訴えました。

インクルージョンとは、1980年代にアメリカにおける障がい児教育の分野で新たに注目された理念です。日本でもインクルージョン教育(インクルーシブ教育とも言う)とは、初等教育や中等教育段階において、障がいのある子どもが大半の時間を通常学級で共に学ぶ教育を指して使われています。
ノーマライゼーションと似ていますが、インクルージョンとは障がい児も健常児も、もともと社会全体の中に含まれ(include)ているという考え方であり、「障がいが特別なものではなく、一つの個性であり、すべての人に特別なニーズがあり、それは障がいを持つ人だけのニーズではない」というものです。
そして、インクルーシブ教育は「障がいのある子どもも、ない子どもも共に同じ場で学ぶことは、単に障がいのある子どもたちだけではなく、障がいのない子どもたちにとっても有意義であり、有益である」という立場に立っています。

分離から包摂へ、エクスクルージョンからインクルージョンへ。障がい児も健常児も、もともと社会全体の中でそれぞれが尊い存在であり、障がいは特別なものではなく一つの個性であると捉え、共に生きる共生社会の実現を目指すことは、今を生きる我々に課せられた責務であると考えています。

欧州においては、1911年にカンディンスキーらのグループ展「青騎士」に、ルソー、エミール・ノルデらの作品と共に、子どもの絵や精神病疾患者の作品を展示したという歴史があります。
1945年にアール・ブリュットという名称を付けたフランスの画家ジャン・デビュッフェは、その定義を「時代の潮流を模倣するのではなく、主題・素材・制作方法・制作リズム・表現方法など,全てを自分自身の根底から抽出した作品」としました。
障害のある人の作品は、以前は誰にも見られることなく、社会の片隅でひっそりつくられ、捨て去られていたことがほとんどだったと言えるのですが、それを見出し世に出そうとする人達によって発掘され、多くの人の目に触れるようになってきています。このような動きをもたらしたのは、主に福祉分野の人達でした。
正規の美術教育を受けていない人の造形という定義もありますが、誰かに見られることを想定せず、完成を目指さず、息をするようにつくられているものでもあると言えます。言語表現がままならないという障がい故に、造形表現が言語に代わる伝達手段そのものになっていると考える人もいます。造形表現することが自分を保つこと、自分を守ること、自分を残すこと、自分の存在を証明することになっているとも思われます。表現するということに対する人間の根源的な要求が動機であるといえるような、生き生きとした作品が多いのもうなずけます。
我々創作活動に携わる者は、それらの作品から、まさに生(ブリュット)の迫力を感じ取ることができるであろうし、学ぶことも多く、仲間として共に作品を展示できることに、喜びを見出すことができるものと思っています。
今回、「共生社会の実現に向けて一歩を踏み出す展覧会」という展覧会名で、障害のある人とない人の作品展を開催しました。作品は並列に、ボーダレスに扱うということを示すために、障害のある人とない人の作品を交互に展示することにこだわりました。そのことによって、創作することや展示することの意味を考えるとともに、共生社会の大切さを訴え、作品展を通して社会に貢献する小さな一歩を踏み出したいと思っているからです。

なお、障害のある人の作品は京都市にあります特定非営利活動法人障碍者芸術推進機構「天才アートKYOTO」の協力を得て、そこに所属する作家の作品を展示しました。それ以外の作品は京都精華大学の学生・教職員の作品です。どうぞごゆっくりご鑑賞下さい。