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展覧会Exhibitions

岩倉展:洛北の説話伝承とくらし

2000.11.30 - 2000.12.21

開場時間
10:30〜18:30(最終日17:00)
休館日
会期中無休
入場
無料
会場
京都精華大学ギャラリーフロール
主催
京都精華大学
協力
妙満寺、補陀洛寺
写真提供
中村 治氏

概要

 口碑によれば、桓武天皇は平安遷都の際、京都の四方の山に大乗経を納め、これを岩倉と称して王城鎮護を祈願したといいます。精華大学周辺の岩倉はその北方に位置し、神のおりたつ聖なる自然石「岩倉(いわくら)」(現山住神社)を今日に伝えるなど、古代的な信仰世界の姿とかたちを今日に伝えています。

さらにまた、平安のころより「小野の里」と呼ばれた市原地区は、中世の仏教信仰流行とあいまって、補陀洛寺の小野小町伝説や長代川中流「頼光橋」の由来をはじめ、文芸・唱導文化の面からも興味深い故事・物語・寺宝のかずかずを残しています。この他、昭和41年に京都市中心部より移転した妙満寺の「安珍・清姫の鐘」、更雀寺の雀塚(藤原実方古跡)を含め、岩倉の地に伝存するあまたの説話伝承を紹介し、洛北寺社文化の一側面に光をあてようとするところに本企画第一部のねらいがあります。

さらにまた、企画展の第二部として、岩倉村松在住の中村治氏より貴重な記録写真約40点をお借りし、大正~昭和の木野・幡枝の暮らしぶりや風景を写真パネルのかたちで展示しました。年中行事・まつり・冠婚葬祭等をとおしてみた近・現代岩倉の生活史を概観するとともに、地域の風景とそこに生きる人々のハレとケの移り変わりに目を向けることで、大学周辺の民俗文化を身近に感じていただければ幸いです。

なお、企画展示にあたっては、人文学科学生の協力を得ました。日頃のゼミ活動、フィールドワーク等を通して行った調査・報告活動の生の姿をあえて展示することによって、大学と地域社会のかかわりを知る機会をもちたいと願っております。


京都精華大学

岩倉のたから

人文学部  堤 邦彦
洛北岩倉は不思議な土地です。京都市左京区にありながら、洛中とは異なる気候風土と習俗をもち、豊かな寺社文化の里としても、いまなお洛北の中心と呼ぶにふさわしい場所です。
今回の企画展では、岩倉の魅力の一端を紹介するとともに、史上の著名人ならぬ衆庶の人々のくらしと文化に焦点をあてることに留意しました。
たとえば、市原・補陀洛寺所蔵の俳諧歌仙額は、江戸中期の享保年間に「梅月」ら五人の妻たちが、当時女性には難しいとされていた極楽往生を願って日々の悩みを描いた三十六句の連句をつくり、小野小町ゆかりのこの寺に奉納したものでした。美女の盛衰を語った中世の小町伝承が、江戸を生きたふつうの女たちにどのように受けとめられ、日常生活の糧となって言い伝えられたかをものがたる貴重な資料といえるでしょう。
また、第二部に展示した中村治氏所蔵の記録写真には、大正・昭和初期の田園風景からはじまり、戦後の高度成長のもとで宅地化して行く岩倉の変遷が定点撮影のごとくみごとに捉えられています。一面にひろがる美田の中を進む一両の叡電、ダイハツ・ミゼットに乗ってほほえみかける子供たち──そこには忘れかけた昭和三十年代の変わり行く岩倉が点描されていて、見る者の想像力をかきたてます。
この企画展が精華大学をとりまく岩倉盆地の<きのう・きょう・あした>を考えるきっかけになることを願ってやみません。

第一部

 ◆第一部 「岩倉の説話伝承」 おもな展示品

 

「小町・小将俳諧奉納額」
板・著色
補陀洛寺(小町寺)蔵
「小町卒塔婆図」
紙本・著色
一幅
補陀洛寺(小町寺)蔵
「小町九想図」
紙本・著色
一幅
補陀洛寺(小町寺)蔵
「小町図」
紙本・著色
一幅
補陀洛寺(小町寺)蔵
「深草少将図」
紙本・著色
一幅
補陀洛寺(小町寺)蔵

 

第二部

 ◆第二部 「岩倉のくらし」 写真パネル展示内容
 1. 岩倉の風景
2. 生活の風景
3. 農事と祈り
4. 儀礼とまつり
5. 葬送と婚礼

 

「叡電」
岩倉盆地を行く鞍馬電鉄(現叡電)。昭和39年。昭和3年の開通以降、岩倉花園地区の八幡前駅付近に少しずつ家が建つようになった。写真中央に三宅地区の宅地が見える。

 

「ミゼット」
ミゼットに乗る子供。昭和40年頃の岩倉地区。現在、岩倉の乗用車数は約6000台という。昭和30年代後半は自動車じたいがまだ珍しいものであった。
「誘蛾灯(カンテラ)灯し」
誘蛾灯に火をつけてまわっている
ところ。村松地区/昭和25年頃

 

「岩倉の火まつり」
毎年10月23日には石座神社の祭礼が行われる。大松明を燃やすところから「岩倉の火まつり」といわれる。写真は昭和37年10月23日の未明、石座神社。
「嫁入道中」
夜の嫁入道中。かつて岩倉では、冬、それも節分の夜に嫁入りをする風習があった。嫁は生家で花嫁衣装を着付け、迎えに来た仲人の先導で婿の家に行き結婚式を挙げる。写真は昭和33年の長谷地区。